「昭和」に育った人間として、平成の次の時代を活きる子どもたちの成長を支えたい

私は昭和49年生まれ。

 

 

中学生の頃までは、家の電話はいわゆる黒電話だった記憶があります。

 

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ダイヤル回して電話かけてました。

 

それを思うと、

 

今はスマホだLINEだと、交流手段の進歩はすごいんだなと、気付かされます。

 

 

で、ちょっとこういう雑誌を目にする機会がありまして。

 

 

その中で、昭和バンカラ派の私が特に懐かしい一品をピックアップします。

 

 

 

 

こんなの覚えている人いるかなあ?

 

 

ゴールドライタン

 

 

大好きだったんですよ。

 

まさにこの超合金、買ってもらって遊んでました。

 

嬉しかったなあ…

 

 

 

これ!この自転車に憧れて、憧れて…。

 

ついに乗れませんでいたが、見かけるとテンション上がりました。

 

 

 

 

ディスクシステムですよ(笑)

 

ゲームのカセットを買わなくても、おもちゃ屋でソフトを書き換えできる!という素晴らしく画期的なシステムに、何か時代の変化というか、高揚感を感じたのを覚えています。

 

 

 

 

 

やばいですね。

 

 

ジョイボール 

 

 

若い方には、

 

 

 

全く意味不明でしょう(笑)

 

 

 

このころ、ゲーム関連の周辺機器が爆発的に増えていた。

 

 

総じて、自分を取り巻く環境とか、社会とかが、

 

成長、発展する方向に向けて進んでいた感覚を覚えています。

 

いま思えばいい時代だった。

 

未来に希望だけがあるというような。

 

 

昭和→平成ときて、

 

来年は元号も変わりますね…

 

 

これから先の日本では、私が子どもの頃と同じような経済成長、というわけにはいかないでしょうけれども、

 

かつて先人たちの活躍の恩恵を受け、

 

44歳の今を行きている、かつての子どもの1人として、

 

 

これからの子どもたちにも、夢と希望を持てる日本、社会をつくるため、

 

微力ですけど、貢献したいなあ、という気持ちをあらたにしました。